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日々の足跡をなんとなく綴って行いこうかと。
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なんかゲームが欲しくなった。
ほのぼのしたシミュレーション。
冒険するヤツはまだあるんで、
ほのぼのしたヤツ。
アクションも割りとあるので、
シミュレーションっぽいやつ。
もう少し付け加えるなら、やる気がなくてもやれるやつ。ぐだぐだと。

その方面では360に期待できない。
その方面に関しても割と期待したいPS3だけど、まだまだそっちは出ない。
で、妥当なところでDS。

DSの牧場物語みたいなのを買ってみた。
2時間ほどプレイしてみたが。
残念ながらあわなかった。
ぐだぐだやりたいのだが、バザーで売り上げ目標があったりと、今の俺には割りと苦痛。
まじめにやればおそらく楽しいのだろうが、買った目的からずれていた。



最近、大学生や高校生を見ると、やや面白い。
「俺もああいう時代があったのだな」と思う。
これは俺にとっては当たり前の事だ。実際にあったのだから。

自分が過ごした時間を、今は別の人達が過ごしている。
要はシフト制なのだろう。
おそらく俺も近いうちに「次」へ移る。
誰かがいた場所へ。
で、俺がいた場所へ誰かが移る。
年として大きな区切りはあるだろうが、細かいところでは刻々と移ってはいるのだろう。
次にどこへ移るかというのは、その場にいるときの頑張りやら運やら、いろいろ要因があるのだろうが、
とりあえず「移る」は置いておく。
では、「留まる」ことはできないのだろうか。
「楽しい今」を常に享受しているわけにはいかないのだろうか。

「移る」のは自分が移ろう環境に存在するからなのだろう。
移る人が居て、移る役割があって、移る時間があって。
ならば、移る人が居ないか、移る役割がないか、移る時間がなければ、あるいは留まることが可能なのではないだろうか。
しかし、自分はそういう環境に存在するわけだ。そういう環境でないところへ移ることもしないわけだ。
つまり留まれないわけだ。

その前提を擬似的に否定してやれば、自ずと結果も変わるだろう。
簡単に言うと、自分の居る環境を見ないわけだ、現実を見ないわけだ、現実逃避をするわけだ。
「フィクションに浸る」、「翌朝を考えず夜更かしをする」、「この文章を書く」。
えらく簡単に実行できる。
ただ、自分以外は移ろうし、ひどく劣化する。
己が留まったとして、己以外が動いていては限界も訪れる。

留まろうとする目的を鑑みれば、もうひとつ方法があるように思う。
常に「楽しい今」を享受したいのであれば、常に「楽しい次」へ移り続ける事だ。
勿論、そこへ移れるとは限らない。
しかし、それを覚悟した上で、そうあろうと今何かをするならあるいは…。
そう考える。

で、問題なのが、「楽しい次」が分からない場合なのだ。

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